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世間では、好き放題言っておられる。ロクなヤツはおらん。あれでは税金の無駄使いだ。何も仕事をしとらん。市民のことは全く考えとらん。____等々。
県議会議員を務める自分としては、誠に身につまされる話しだ。
その人は、県議会のことを言っていないから県議の私に当るとは思っておられない。 だから、というよりむしろそれに比べればあんたの方はまあ良いという好意的な意味を込めておられるようなのである。従って、余計言われたのかも知れない。
ところが私は、市会議員だろうが県会議員だろうが、「議員」なのだから同じ立場としてズッシリこたえるし、つらい目をしている。
さて、議員数はアプリオリーに何人が良いとは一概に言えるものではない。
そこで、法(地方自治法)が人口基準で上限を置さ、同時に、議会自身での減員可としている。法は、人口何人なら議員何人、人口何人増えるごと議員何人増というカタチで決めているのだが、そこがややこしい。
議員評判が芳しくない時は、ムード的に議員が多すぎる、ということになる。
良いときは何も言わない。一般には法がどうだこうだは関係なく、自分の“思い”が全ての基準になるから、法の“思い”とはどうしても差が出る。法意は、少なければ少ないだけ良いとは考えていない。
民意反映をいかに企るか、そのための基準として、一般的に考えられる常識的な線を、法は示しているはずなのである。だから、各級議員、首長の種類によって自ら、それは異なって当然であろう、判例もそう言っている。
市町村議会議員は、市町村内の各地の意見が反映されることを法は望んでいる。県会議員は、各選挙区ごとの意見が反映されるのがよいはずだ。
合区、分区で、選挙区自体を動かす場合は、地域の歴史的事情やまとまりに支障が出る場合があることを勘案すべきだ。 それと人口だけを基準に考えると、面積は広大だが、「議員不在」が起る。(正確には、選挙権が無くなることはないが、隣りの選挙区と合区されると議員の出身地でない処の人からは「ウチには議員がいない。」などと言われるのである。)
自分たちが出しているとの考えから議員の実質的存在価値があるはずなのである。この場合、「その内になじんでくる」と考えるか、歴史的な事情背景はそう簡単に消えないから、「まずい」と考えるか、考え方は2つに別れる。
具体的には人口のみを基準でゆくと、岡山県の場合残念ながら県南の岡山、倉敷だけが益々議員増となる。県中北部はかつての一郡一人の県議配置が先般の「議員定数」改訂でくずれてしまった。
私は自由民主党に所属しているが、私自身は「一郡一人の原則」は、まだ必要であり、無やみやたらにくずすべさでないという論を展開して、むしろ、自由民主党は、過疎地の声を尊重し、代弁する党でもあることを一つのシンボルにしたい。そのためにも安易な合区には問題がある、と主張したのである。
うっかりすると、議員自身が、とにかく減らしさえすれば進歩的で正しい考えで、減らすなというと反動的だというレッテルを貼られてしまう。人数基準は確かに分り易い。
しかし結果は不合理なのである。訳が分らずにといえば失礼だが、ともかくムードに乗っておこうという不見識がはびこるのは残念だ。
私は、議員定数問題にどういう見解を持つかは議員自身の見識の問題と考え、大まじめにならざるを得ない。誤解を恐れず、ズバリ単的に言えば、考え方の問題、理由が大事であって、結果的に減る減らない、増える増えないはそう大した問題とは思わないのである。
理由はどうでも結果的に減らしさえすれば良いという論には、私は、納得がゆかないといっているのである。 |
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