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「人事、労務しか興味がありませんので、その部署で働かせて頂けるのなら採用してください。」
彼は、安永鉄工鰍ヨ面接入社する際、そういうゴツイことを(実は正直に)言った。初対面の人にズバリこんな生いきなことを言うヤツは、そうザラにいないから、先方会社重役はつい勘違いして、「こいつならやりそうだ」とでも思ったのだろう、採用してもらった上に希望通り総務部労務課という部署へ入社させてもらった。確かに好きな部署だったから、初めから「労災」「勤務」「社内報」などを受け持ち、モーレツに働いた。
初任給は1万8千円だった。(これでも当時は平均より少し良い方だった。)
寮に入り、社員の会社への不満などもよく聞いた。直接重役にまで掛け合ったこともある。世話好き人間になっていた。けっこう仲間内では人気者だとうぬぼれていた。
しかし、世の中そう甘くなかった。職制を無視して交渉したり、同期入社のAとBで給料に500円差があるのはオカシイとか、むしろ少い人間の方がよく仕事をしているではないか。・・・・・・などと上申するのだから上司にとってよい部下であるはずはなかった。
初めの内は成功していたが、その内サッパリ通用しなくなっただけではなく、上司からはいい顔をされず、何だ、あのヤツは…… ということになった。
所詮、中途半端な若僧人間が、英雄気取りで、おせっかいをやいていただけだったのだから、そうもつ訳がなかった。そういう訳で当然行き詰って、悩み、苦しみ、張り合いと生きがいが無くなった。こうなった以上会社を辞めるしかないと考え出した。
結局、親にも言わず退職する決心をした。仲間にそのことを言うと、お前が辞めるのなら、わしらも辞めると言ってくれた。それが嬉しくもあり、切なくもあって、あの時の気持は生涯忘れない。
S.40年、24歳にして早々に挫折した訳で、やっぱり自分は自由業でないと向いていない、と考えだした。何冊かの本もフトンの中に包み込み、何の前ぶれもなしに実家へ送った。今にしてみれば、またしても親不幸なことをした。たるだけ心配かけた上に、プイと舞い戻ってきた我が子を、おやじは当然怒った。
このときばかりは何も言えた義理ではない。
一番つらかったのは、無口な母親が、一言「この子は大器晩成なんじゃろう」と言った時だった。
この時、彼は人生観が大分変ったと思う。もう後がないように思えたし、よし頑張ろうと心に誓った。 |
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