彼の歩んだ道
    「一ペン死んだ」ということ
    見当がよい、ということ
    選挙(投票)は、市民各界各層各地域の声を
公平に吸い上げるためにある?
    皆様の声を公平忠実に反映させます?
    議員は何人が適当か?
     
 
    会社を辞める
  司法書士試験合格
     
 
    市会議員・補欠選挙へ出馬
     
 
    県議会議員選挙へ出馬
   
   サラリーマンを辞め、帰郷、即運転免許を取った。同時に、独学の受験勉強に入った。

 翌年S.41年宅建主任と行政書士の両試験に合格。その翌年のS.42年危険物主任試験合格ときたものの、肝心の司法書士の方は1年余必死でやった甲斐なくS.42年はダメだった。これはこたえた。自分では満を持しての受験だったし、かなり自信があったので納得ゆかなかった。どこが悪かったのか?当然のように当局に対し異議申立をした。

 岡山地方法務局へは彼のような人が5・6人来ていた。
ところが、法務局の総務課長さんは、別段何も教えてくれないで部屋を出た。いくら掛け合ってもどこがどうだったなどとは教えられない、の1点張り。
これでは来た甲斐がない。しばらくお通夜のような雰囲気になり、ただ黙っているだけ。こういう時の心理として、にくまれると来年の受験に不利になりそうな気がして誰もキツクは言えない。
 
  彼は一同を代表してついにエイッと意を決して、「このままでは帰れない」と掛け合った。 先方も困りはて、広島へ聞いてみる。と言っては数回部屋を出たり入ったりした。 結局とうとう大分たってから、個別に話しを聴こうということになった。 彼の番が来て遠慮しながら聞くと、良く出来ています。惜しい、という風なことを言うだけで、肝心なことは何一つ言ってくれなかった。モンモンしながら帰った。

  さらにもう1年は長い。同級生が大学入試を2浪中、ノイローゼ気味になっていると聞いて、元気づけに行ったことがあったのを想い出したりした。
親に申し訳ない。世間ていも悪い。と考えると引っ込み思案になりかけた。
当初は気分転換にと思って、生れて初めて7アールものキューリづくりを始めた。 農協との付き合いが始まった。

 キューリは当然曲る性質をもつ。それを竹を2つに割ったものを自転車のチューブを輪切りしてはさみ真直ぐにしないと商品価値がないことを知った。
夏の暑い盛りでないと折れてしまうから一番暑い時間帯にその仕事をする。どうしてこんなバカらしいことをしないといけないのかと思った。
当時津山市内で一番たくさんキューリをつくったし、熱心にやったので、農協が大阪の市場へ視察に連れて行ってくれたことがある。
「日中のキューリ、その後の昼寝、晩の受験勉強」で生活はちょうど昼夜反対になり、散髪には長くゆかなかったからとても見られたカツコウではなかったと思う。

 2回目の受験当日、分っている問題をミスして1回目より自信がなく、受験後しばらくふがいない気分でやるせなかった。
去年は自信があったのに落ちた。今年はまたウッカリミスで落ちるのか、と思った。

  S.43年9月頃、部落の山の下刈作業へ出ていたら、弟の和夫、(現コカコーラボトラーズ轄H場長代理)が、息をはずませながら山まで合格通知が来たことを知らせに来てくれた。汗と涙が一緒になったことを覚えている。

 彼は当時27歳。よし、これで遅れを取り戻そう。
これでやっと好きなことでメシが食えると思った。
 
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